原研哉さんのデザイン論聞いてて
概要
個人的なメモ。ざっくり書いてるものなので、毒にも薬にもならないと思う。
Globalとは
日本の文化を持って行く、のではなく、
何が役に立てるか、
not Grobalization。
神社デザイン
空っぽの中に、神様が居るかもしれない。
Emptyの運用、Adium
シンプルとは
西洋:国は王のもの→みんなのもの、みんなのためのサービス
この変化が「シンプル」というもの。
権力がある事を示す為の、「細かく」「膨大な時間を要して」「一級の人間が」というものから、変化。
(こういう文脈的な考え方を単語の源流に対して行った事は無かったので、
知るきっかけになって大層ホクホクしてる)
日本:シルクロードを経ていろんなものを受ける「受け皿」の位置
なのになぜ簡素なのか。
が、東山文化の直前に大火でいろんなものを喪う
→京都・東山文化
空っぽ、を含んだもの
何も無いのがかっこいいかも、という価値観
not simple, empty
例:茶室
居る人のイメージで解釈しあう空間
「どんな文脈にも寄り添う」
梅の屏風のある茶室 > 梅の花が綺麗ですよね > マジ梅空間
ヘルケンのナイフ vs 柳刃包丁
片や一体整形の刃、
片や刃に棒がついたもの
「出来るだけ何もしない」「何かの気付き」
「何でも無い、がリッチに見える」
何かデザイン展のはなし
わき出す水滴のロゴ、撥水生地のプレゼンテーション
吹くと流れて落ちる。キモチ良さそうだった。
精密さ、緻密さ、潔さ = おもしろい日本
vs
日本人が思ってる日本
これらは異なる。
HouseVision
デザイナーの役割は、可能性を、目に見える形にすること。
(テクノロジーデザイナーとかあると嬉しい職な気がする)
欲望の品質、欲望のエデュケーション
ニーズに従う vs 予想を超える
使う人たちにエデュケートをさせるデザイン
リノベーション+ソーシャル
家は多様な産業の交差点
(この、交差点という言葉がとってもすとんと落ちました。)
モビリティから変わる家
玄関から段差がある事で、CleanとDutyが変わる。
住宅リテラシーの成熟。 デザインによるエデュケーション。
それがデザインの目的
アクティブな老人をデザインすると楽しそう。「すばらしいリファレンスになるのでは。」
美意識資源の運用
こんどの、展覧会のようなデザイン
具現の場所 「こうだったりして! が叶うところ」
考察:自分にとって、どこが交差点か
TransitPoint
考えると楽しそう。
言い換えると、
「ここに自分が関わりたいもの達が集まって来ると思うんだ」ってポイントを探したり作ったりして、なにか起こしたり起こったりするわけで、
戦略の中心探しのメソッドにちょうどいいなあと。